「暴力」を封じ込める力

 結局、「暴力」を封じ込める力って何だろう。武力による封じ込めが効果をあげられないとわかってしまった現在、「暴力」に根拠を与えてしまうような事柄の除去と、普通の人々それぞれが「暴力は絶対に許さない」という意思を明確に持ち、事あるごとに表明し続け行動すること、の2つをいかに徹底できるかに掛かってきたように思う。

 開戦から1年が経過したイラク戦争は、「暴力による暴力の封じ込め」がもはや無効であることを誰の目にも明らかにした。「大量破壊兵器の除去」という「大義」が、いつのまにか「テロとの戦い」にすり替えられてしまったイラク戦争は、その除去すべき「大量破壊兵器」がいっさい見つからないまま、テロの頻発と情勢の混乱を引き起こして泥沼化している。
 先のスペインの政変は、そんな武力行使による政策を取り続ける米英「有志連合」への異議申し立ての表明とみるのが合理的だろう。テロを呼び起こすようなことをしておいて、あとから「テロとの戦いから逃げてはいけない」などというのはマッチポンプでしかない。スペイン国民は、総選挙において「暴力の根拠」(イラクへの国軍派兵)を除去する選択をしたと同時に、文字どおり国中を挙げてのテロ抗議行動を起こすことによって「暴力を絶対許さない」意思表明を行ったことで、真の意味での「テロと戦う意思」を明らかにしたといえよう。

 その点、小泉首相の「国民にテロと戦う覚悟ある」発言は、テロがなぜ頻発しているかというその因果関係に目をつぶり、自らの政策がテロを招き寄せつつあることの責任にも無関心なままで行われたもので、無神経かつ無責任極まりないひどいものである。このヒトの文脈で「覚悟ある」などと言われたところで、「そんなモノはない」という他ない。たとえ小泉サンじゃなくても、同じ文脈でこんなこという奴には、同じ反応をするけどね。

 残念ながら日本でも、米英「イラク侵略有志連合」に参加してしまったばっかりにテロ発生の危機に直面させられているが、現実的問題として起こりうるテロを全て防ぎきれるのだろうか。
 政府としてはすべてのテロから国民を守らなければならないのだから、全力でテロ対策をとることは当然の責務だ。が、自衛隊や警察、海上保安庁その他持てる力を全面的に動員しても、本気のテロリストが起こすテロはおそらく防ぎきれないだろう。いくら政府に対策強化を頼んでも、国民がテロから守られる保証はない。
 となると、残る対策はテロを起こさせないことしかない。
 その点でみても、現小泉政権はテロ対策を行う担当者としては完全に失格だ。何度でも言うが、ウソで始められたイラク戦争を真っ先に支持し、またウソを重ねて自衛隊をイラクに送った。そうやって自ら「テロの根拠」を作り出しているのだから。その点は米英「有志連合」諸国もいっしょである。

 そんな今だからこそ国民は政府へ協力する必要があるではないか、という声も聞こえてきそうだが、政府が国民の反対・不支持を押し切って始めたことの後始末を、どうして国民がせねばならないのか。
 国民の協力が不可欠なら、まずは政策の間違いを明らかにした上で、こういう事態を招いてしまったことの責任を明確にし、国民に対し説明をせねばなるまい。政策が間違いでないというなら、なおさら国民が本当に納得できる説明を政府はする責務がある。
 いろいろ言ってきたが、テロ対策には、国民の全面的協力が不可欠だと思っている。だったら政府は、ウソ誤魔化しをせず堂々と国民に徹底的な説明をし協力を呼びかけることが必要だ。事態が切迫しているなら、政府はなおさら早急にそうしなければならない。
 果たして政府はそういうことをきちんとやってきたか。先の小泉「覚悟ある」発言に対し、「そんなものはねえ」という反応が少なからずあることでよくわかる。蛇足ではあるが、このとき責められるべきは国民ではなく、政府であることは明白だろう。

 繰り返して言うが、「暴力」を封じ込めるには、その根拠となりうるものの除去と、それを絶対許さないという意思の継続した表明と行動が重要だ。特に、ウソでイラク戦争を始めてしまった米英と「有志諸国」ではそうだ。そして、そのひとつであったスペインではそれが始まっているし、他の諸国にも大きな影響を与えている。

 「有志諸国」のひとつ、日本はどうか。残念ながら政府に政策転換の動きは全くない。ならば、日本のテロ対策の最優先課題は、現在の自民公明連立政権をさっさとやめさせることではないだろうか。

 はなゆーさんのサイトで、「テロに打ち勝つ平和運動」というマドリードの神父さんからのメッセージが紹介されている。結局、これが真理ではないか。これは読む価値のあるメッセージだと思う。

マドリードの神父から感動的なメッセージ「テロに打ち勝つ平和運動」が届いた! from 低気温のエクスタシーbyはなゆー -北国tv 2004.3.23

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コメント(3)

 ここでは「初めまして」ですね。

 むずかしい政治のことはよくわからないのですが(などと書くといろいろ言われそうではありますが)、自分自身が暴力の要素を自分の奥深いところで息づいているのを感じている人なので、「暴力を封じ込める力」には「暴力」以外にないんじゃないか、などと思ったりするわけです。

 よくSFや映画などで「人間の根源悪」みたいなものをテーマに、宇宙人が「人間は凶暴で何をするかわからないので何かしでかす前に始末しちゃおう」とか「自ら核で滅びちゃう」とか、例を挙げればキリがないほどありますよね。
 走馬灯のように流れる歴史はローマ帝国の戦士の彫刻や十字軍の油絵、源平合戦の絵巻、ヒトラーの白黒映像とか、ヒロシマ・ナガサキのキノコ雲、アフガン侵攻の戦車隊、湾岸戦争のハイテク兵器、9・11テロ。
 何千年も前から人間同志が殺し合っていて、殺し方が進歩するばかりで暴力の抑止に関しては何にも進歩していないように思います。誰かが殺されれば憎しみが生まれ、新たな殺人を呼び、それがまた新たな殺人につながる。これがテロの現状です。私だって大事な人が別の国の人に理由もなく殺されたら、何をしでかすかわからない。もし手許に銃があれば?
 子供のオモチャ型地雷なんて、作ったヤツは悪魔としか思えないけれど、もし自分の目の前で親兄弟や家族を銃で虐殺されたらと思うと納得してしまいます。

 人間は個人差こそあれ根源に暴力的なものを抱えていることは確か。ある意味、私なんか自分の暴力的要素を原動にして創作する感もあるので、それを「抑止」されたら骨抜きにされそうです。実際そんな薬品もあるし。いっそのこと地球上に大量に「無気力」になるクスリを撒けば本当の「平和」が訪れるのかもしれない、などと極端な話、思ったりします。
 最強の薬品兵器ですよね。手塚治虫の漫画に自衛隊の幹部候補生がテロを起こしてある街を占拠する話があって、その時に使われたのがそれ。コメや水に人間を無気力にさせる薬品を混ぜ、市民は周囲の変化に何も気付かされずに死んだ目で街を彷徨い、いいなりになる。ものすごく恐い話。

 じゃあ、そんな恐い薬を使わずに地球上に平和は訪れないのか? 答えはカンタン、人間が滅亡すれば環境破壊も戦争も根源からなくなる。何千年か何万年もすれば、破壊しつくされた環境も元に戻り、動物たちに平和が?終末思想っていうヤツですか。そこまでする気はもちろんないですが「もしかして、コレが一番かなぁ」などとヘンに納得している自分もあるわけです。

 あえて反論しましょう。日本政府がマトモに動こうと、世界は変わらんです。アメリカが滅びれば多少はマトモになるかもしれないけれど、でも次の「帝国主義者」が現れるにすぎない。歴史はまさにそれの繰り返しじゃないですか。本当に人間はその点、「学習しない」バカな動物だとしか思えないのです。

 核を互いに保有することでにらみ合いしてかろうじて得ている平和。そんなかりそめの平和でボケてしまっている私に「暴力を封じ込める力」など思い付かないのです。でも、いい加減「学習」して、「いっせーの、せっ」で兵器を捨てて欲しいのがホンネではありますが?

mezzo forteさま、本当にこちらでは「はじめまして」ですね。コメントありがとうございます。

コメントを読ませてもらって、いろいろ考えてしまいましたが、どうやらこの件については、新たに記事を起こしたほうがよいと考え、現在準備中です。反論というより「持論」の展開になりそうですが、なるべく読みづらくないようにしたいと思います。

ただひとつだけ思ったこと。
「人間は根源的に暴力的なものを抱えているのは確か」と書かれていますが、私が思うに、それは「矛盾」であって暴力的なものではない、ということです。抱えた「矛盾」を解消するための「行為」(または「現象」)のひとつの発露として「暴力的なもの」はありますが、初めから暴力的ではない、と思います。根源的に「暴力的なもの」を抱えているとしたら、生まれたばかりの赤ん坊にもそれは内在していることにはなってしまいませんか、と思うのですが。

 まあ、ほかにも書きたいことはあるので、近日中に新しく記事を起こしたいと思います。面倒でなければ、よろしくお付き合いのほどを。

 どもです。ちょいと色々ありましてレス遅れましたが?

 >現在準備中
 とは、何やらおだやかでないような。首を洗って待っています。

 で、今日はちょいとやることがありますので簡単にレスを?

 私の考える「暴力」はむっさん(あえてこう呼びます)の考えるものと定義的に違うようですね。「矛盾」という複雑で人間的なパラドックスではなく、私の考えているのは動物的な本能、つまり自衛手段の一つだと思うんです。「心理」というより「反射」というような。抽象的ですが「血」と表現するとわかりやすいかも。
 「本能」なので普段は理性で抑えているから表面に現れてこない。ロクでもない奴を見ると「アイツ、殴ってやろうか」と思うけれど、実現にはまず至らない。自衛するまでもないから「暴力」には発展しないわけです。
 しかしこれが自分の「最後の砦」を破られそうな危機に陥った場合、これが発現するのではないのかと思うわけです。で、その辺の「砦」の解釈の個々の違いにより、暴力の発現の仕方が変わるのではないかと、今、思い付いたわけですが?(安直)

 と、あまり時間もないので中途半端ですみませんがやめときます。

 私信ですが、たまにはデジくじの掲にも顔を出しましょう(管理者なんだし?)。

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